中田広志組長自ら実行犯?山健組は山口組で一番の主流派組織だった【山口組対立抗争】

今年8月、弘道会組員が事務所前で襲撃を受け重症を負った事件の実行犯が逮捕されました。

なんと、山健組の組長みずからによる犯行でした。

この山健組、以前は山口組傘下で一番の勢力を誇っていた州流は組織。

そんな組織の組長が、なぜみずから実行に至ったのでしょう?

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■弘道会組員襲撃事件の実行犯を逮捕。容疑者はなんと山健組五代目組長

事件当日の様子
出典:https://mainichi.jp/

事件発生は、今年の8月21日午後6時15分ころ。

神戸市中央区の弘道会拠点事務所の前で、男性組員(51)が何者かにより発砲され、重症となる事件が発生しました。

事件当初は意識不明の重体となりましたが、その後、一命は取り止めたようです。

犯人の男は、組事務所に停車中の軽乗用車バイクで近づき、そのクルマに乗車した組員に対し、数発を発砲、一部始終が防犯カメラに記録されていました。

○犯人はなんとあの「山健組」の組長。12月4日に逮捕

事件直後から、一連の「山口組抗争」に関わる殺人未遂事件と考えられておりましたが、その後犯人に関する報道は一切ありませんでした。

ちまたでは「神戸山口組が雇ったヒットマンか?」などと、まことしやかな噂もされていた状態です。

しかし、犯人はなんと、神戸山口組傘下の二次団体である山健組の組長だったのです。

そう、神戸山口組直参で若頭補佐も務める、中田広志親分、その人当人だったのです。

※一部報道では『中田浩司』とされていますが、この記事ではWikipediaにもある『中田広志』で統一します。

○一般的にヤクザ抗争の実行部隊は若い衆かプロだったのでは?

山健組五代目 中田広志組長
出典:https://www.sankei.com/

組長みずからなぜ犯行に及んだのでしょう?

ヤクザの世界では、実際に銃や刀を持って実行するのは、若い衆か「ヒットマン」と称されるその道のプロと考えられています。

映画、ドラマ、小説などを見ていてもそのとおりのパターンが多いです。

もちろん、フィクションと現実とでは、いろいろと違いはあるにせよ、組長みずからという報道には驚かされました。

しかも、あの山健組の組長というから二度驚きです。

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■山健組は分裂前、山口組傘下で最大の勢力を誇っていた組織

山口組(分裂前)の傘下の組織は数多くありますが、その中でも山健組は特別な組織といっても過言ではありません。

以下、簡単にご紹介します。

山健組が、山口組においてどれほど中心的な存在だったかがわかります。

○山健組とは三代目山口組の若衆・山本健一が結成した歴史ある組織

山健組は、三代目・田岡一雄組長の若衆の1人、山本健一(通称ヤマケン)が1961年結成しました。

三代目田岡組長の山本健一に対する信頼はかなりのものだったと伝えられています。

1981年、田岡一雄が病死しますが、翌年の1982年、山本健一も病で後を追うようにこの世を去りました。

○山健組二代目組長は山口組四代目組長の渡辺芳則

その後、山健組の二代目組長は渡辺芳則に引き継がれます。

そう、のちの山口組五代目代目組長となる人物です。

○山健組の三代目組長は、五代目山口組で若頭補佐を務めた桑田兼吉

山健組三代目組長は、若い頃から渡辺芳則に可愛がられていた桑田兼吉です。

その渡辺が山口組五代目の時期に、若頭補佐の役職を務めています。

○山健組の四代目組長は、現在の神戸山口組組長の井上邦雄

神戸山口組 井上邦雄組長
出典:https://www.zakzak.co.jp/

そして、四代目組長は井上芳雄。

そう、山口組から分裂した時のリーダーで、現在の神戸山口組の初代組長です。

○今回逮捕された中田広志組長はその山健組の5代目

井上邦雄は、神戸山口組の組長に就任したと同時に山健組の組長の座を離れました。

その跡目である五代目山健組を継いだのが、今回逮捕された中田広志です。

山健組五代目組長で、神戸山口組では若頭補佐の1人です。

■山口組分裂の構図は弘道会vs主流派組織(山健組、宅見組など)

神戸山口組 井上邦雄組長と山口組 司忍組長
出典:https://www.nikkan-gendai.com/

山口組から分裂して神戸山口組が発足した理由は以下のとおりです。

(超ざっくり簡単に説明します。)

○分裂の発端は弘道会が山口組の中心の座についたため

山口組の傘下団体のひとつに、弘道会という組織があります。

この弘道会が、山口組の伝統を守ってきた山健組や宅見組などの主流派組織を差し置き、山口組の中心の座についたため、とされています。

もちろん実際は、こんなに簡単な一言では済まない、もっと深くて複雑な経緯があると思われます。

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○弘道会は名古屋出身の組織

現在の山口組六代目である司忍組長と、若頭・高山清司は、ともに弘道会出身です。

ちなみに、弘道会の本拠地は名古屋のため、山口組の分裂を表現するとき、「神戸」「名古屋」と本拠地名で表現する場合もあります。

なお、神戸山口組はさらに分裂し、任侠山口組(組長・織田絆誠)に再分裂しました。

これにより「山口組三国志」などと表現もされたりします。

(関係ありませんが、山口組の分裂騒動は、民○党の分裂より2年も早いです♪)

次のページでは、山健組の組長みずからの襲撃に至るまでの経緯をまとめます。

【次のページ】組長自らの襲撃と逮捕に至ったまでの経緯

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