■実録「新日本プロレス熊本旅館破壊事件」
※証言者により内容が食い違う部分は、信憑性が高いと思われる証言を採用しました。
※名前は便宜上、当時のものでは無く、現在の名前を使用しています。
○現場に居合わせたレスラーの総数は不明
この事件の現場に総勢何人のレスラーがいたのかは、明確な証言はありません。
しかし、他にも大勢のレスラーがその場に居合わせたと考えられます。
古舘伊知郎も、UWF勢は5~6人位いたと証言をしているので、たとえば、UWFの木戸修などもいたと思われます。
一方、星野勘太郎や上田馬之助(この時期は新日の「仲間」だった)などの、年齢が上の選手たちがいたかどうかは不明です。
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■登場人物
※あくまでもこの記事での登場人物で、現場には他にもたくさんのレスラーがいたと思われます。。
○新日本プロレス勢
- アントニオ猪木
- 坂口征二
- 藤波辰爾
- 木村健悟
- ドン荒川(当時は「荒川真」)
- ジョージ高野(以前「ザ・コブラ」として活躍)
- 越中詩郎
- 後藤達俊
- 武藤敬司
- 蝶野正洋
- 船木誠勝(当時は「船木優治」)
- 飯塚高史(当時は「飯塚孝之」でデビュー前)
○UWF勢
藤原喜明 前田日明 高田延彦 山崎一夫
- 前田日明
- 高田延彦
- 藤原喜明
- 山崎一夫
○その他
古舘伊知郎
- 古舘伊知郎(新日専属アナウンサー)
- 大阪スポーツ記者
- 旅館の主人・女将・従業員
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■坂口征二の計らいによるUWFとの親睦会
1987年(昭和62年)1月23日、熊本県の水俣市体育館で試合は行われた。
新日本プロレスにUWFが参入してから早1年。
同じ団体とはいえ、新日勢とUWF勢は、移動も別、宿舎も別、控室も別という状態が続いていた。
顔を合わせるのはリングの上だけ、常にギスギスした感じがつきまとっている状態に対し「このままではあまりよろしくない」と感じていた人物が1人いる。
新日本プロレス坂口征二副社長(当時)である。
彼が思いついた方法は、新日本プロレス勢とUWF勢による親睦会。
しかも、「無礼講」を大前提とした宴会だ。
都合の良いことに水俣市の試合終了後に宿泊する宿は、いわゆる旅館タイプである。
アントニオ猪木社長も快く了解。
ここに、新日本プロレス勢とUWF勢との合同親睦会が実現することになったのである。
■藤原喜明特製のちゃんこ鍋
料理はちゃんこ鍋。
俗に言うプロレスちゃんこである。
メンバーの中で、年齢的にも大先輩の1人であるUWFの藤原喜明が料理を担当。
この日、彼は、早々に会場の水俣市体育館を後にし、早めに宿にて調理をスタートした。
(この宴会の準備のために試合を欠場したという説もある。)
彼が得意とする料理はわかめスープ。
今回のちゃんこ鍋にもわかめを大量に投入しているようだ。
そうこうしている間に、新日の選手たちが続々宿に到着。
ベテラン勢は風呂、新人は準備、という具合にそれぞれが親睦会にむけて準備に入っていった。
若手ホープで17歳の船木誠勝も大先輩である藤原喜明の手料理を手伝った。
(注:未成年者の飲酒も暗黙の了認というおおらかな時代であった。)
まもなくして宴会場には新日選手が続々と集まりはじめる。
藤波辰爾、木村健悟などの看板選手も続々登場。
ちなみにまだUWF勢は来ていない。
集まった新日選手の間では、「UWFの連中が来る」ということで、どことなくピリピリした雰囲気が漂っていた。
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そしておよそ30分後、UWF勢が到着。
前田日明、高田延彦、山崎一夫を始めとする御一行だ。
彼らもまた「敵陣に入っても良いのだろうか?」的な顔をしていた。
とりあえず、おそらく坂口征二が決めたと思われる席に全員が座り、宴会がスタート。
このとき、前田日明と武藤敬司は対角線上の位置の席だった。
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